2009/06/16

商業音楽はどうなるのか

CNET Japan ブログに掲載された久々にじっくりと読ませてくれるすばらしい記事。


ありふれたことに驚く〜ユリイカの坂本龍一総特集(後編)

長い記事なのでかなりの情報量だが、特に後半、いま自分が考えている事にかなり近い記述があったので、紹介させていただく。

純粋な気持ちで始められた「ヒットパレード」が、いつの間にか自己目的化し、スターを生むということと音楽を作るという作業がだんだんと混乱していった。

 
御意。ひょっとすると「純粋な気持ちで始められたヒットパレード」というのはあまりにナイーブな意見かもしれないけれど、でも私もそれはそう思いたい。たとえそれが大昔の話であったとしても。

「伝えたい」、「共感したい/させたい」、「感動したい/さえたい」という原点から多少ずれて、カラオケを通じてヒットしている曲とその雰囲気について いきたい、そういうヒット曲探し自体のようなモノが、音楽市場の中で自己目的化して一人歩きを初めていないか。特に90年代後半のタイアップにより次々と ミリオンセラーを生み出していった時期が、その傾向を助長したような気がします。

私はプロがカラオケで歌う歌番組が大嫌いだった。別にプロの歌手がカラオケで歌ってもいいのだが、それはあくまでプライベートで楽しむ物なんじゃないかと思っていたから。同じ歌うのでもカバーであればアーティストとして曲に取り組んでいることになるが、カラオケで堂々と歌うなんてあまりに音楽を貶めていないか。もちろんカバーでもカラオケのつもりで歌ってしまえば同じ事なんだが。
ヒットさせるためにカラオケで歌いやすい曲をリリースー>みんながカラオケで歌うー>実は歌手もバックはカラオケで良かったんだということに気づくー>カラオケ用の曲をリリースするのが当然になる... 悲しい帰結である。

商業音楽は一般人に受けいれられればそれでいいんだ、という意見も最もだ。でもそれだけだったらあまりに悲しいじゃないか。たとえ制限のある環境にあっても、人の心を動かす、人の心にいつまでも残る曲をめざすのがプロだと思う。

そのことと、これからの音楽ビジネスモデルの変化がどう絡んでいくのかは、難しすぎて、とても今の僕にはすぐには分かりませんけれども、自分の子供が、歌 から言葉を覚え始めている様子をみるにつけ、コミュニケーションの基礎には音があることは、とても強く実感するところがあります。

私の息子は今3歳とちょっと。おしゃべりは遅めで、まだ3語くらいしか単語がしゃべれない(日本語英語含めて)。でも、彼は歌う。気がつくと「ふーんふーんふーん」と鼻歌を歌っている。また、大好きな曲が流れると本当にうれしそうに歌うのだ。音楽というのはすごいもんだな、と再実感させられる。

言葉が初めか、音楽が初めか、私には分からない。しかし音楽には確実に人を感動させる力があるし、様々な影響を与える事が出来る。商業音楽であっても、商業的な成功のみを追い求めるだけでなく、真に人に愛される曲が溢れることを願う。

ちなみに、音楽とは関係ないが

地球改造力だけなら、36億年の太古から今に至るまで、バクテリアや菌類の方が、よほど大きな影響力を持っている。人間はひ弱だったからこそ、道具を発明 し、環境を言語的に認識する能力を身につけ、厳しい気候の時代も生き抜くことができた。人間が地球自体を変えたり守ったりできると思うのは、余程不遜な思いこみである。

その通り。人間がエコしようがCO2を削減しようが地球を守ったりはできない。長い地球の歴史を考えればこの程度の気候変動など想定の範囲内。環境保護運動は地球のためとかいいながらじつは自分達の既得権を守ろうとしているだけなのでうさんくさく聞こえるのだ。地球は人類がいなくなっても全く困らない。

0 件のコメント:

コメントを投稿