2012/11/25

森高千里すごい!

先日ベストヒット歌謡祭に出演して話題になっている森高千里。もちろんこちらではテレビ生出演は見えなかったのだが、YouTubeにアップされている映像で堪能できた。

いろんな意味で森高千里すごい!と感心している。

まず子育てが一段落して歌手活動に復帰するための手順が素晴らしい!

現在YouTubeでセルフカバーを連投しており、200曲分アップするらしい。ボーカルだけでなくドラムも新録音のものもある。また原曲とは違うアレンジが非常に現在の彼女にマッチしている曲も多く、サウンドとしては手作り感あふれる(プロっぽくない)ものだがそれが逆に好感度を増している。
実は今これにハマってしまっていて、いつ次のセルフカバーがアップされるかと心待ちにしてしまっているのだ。

Chisato Moritaka Official Facebook Page
森高千里公式チャンネル- YouTune

デビュー25周年というベテランでありながら、ソーシャルメディアを最大限活用してファンとの1対1の結びつきから再開するという、非常に地味な方法を取っている。

つい先日はセルフカバーの公開収録+ライブもやってしまったみたいで、もし日本にすんでいたら即入場券の抽選に応募していたかも。

ここで例によって次女のコメントを引用すると、「いやベテランだからこそこの戦略がとれるんじゃないの?新人だったらだれも曲を知らない訳だからこんなに急に話題にならないよ。ベテランだからもう曲もたくさんあるし懐かしがって聞いてくれる人も多いんだって」いや全くその通りだ。

彼女のYouTubeチャンネルは、楽曲のセルフカバーだけではなく公式PVや彼女自身による解説もアップされており、ファンに取ってはたまらないものとなっている 。私自身も古いCDを引っぱりだしてきて iTunes のライブラリに追加したりして、もう完全に乗せられている。で、温故知新が始まるというわけ。

彼女の曲がすばらしい。特に Beatles へのオマージュがばりばりにハマっている曲が飽きない。特に「ハエ男」(Back in the USSR + Revolution + Revolution 1 + I am the walrus?) は聞き直してハマりました。「気分爽快」のイントロももろリッケン12弦だし。「ララサンシャイン」は明確にこれっていう Beatles の元曲は見つからないが、左右多重録音されたドラムがどうしてもリンゴを彷彿とさせる。
もちろん彼女の場合詩がとんでもなくユニークな訳だが、私のベストはアルバム「Step By Step」に収録されている「Step By Step ~彼の人生~」。派手さは全くないけれど、こんな風に年を取っていけたらなあ、と思わせられる素晴らしい曲。
(iTunes リンク https://itunes.apple.com/jp/album/step-by-step-kare-no-jinsei/id278884152?i=278884166 )

ほぼ同世代として、これからどんな新曲を作ってくれるのか楽しみにしている。




2012/10/22

ベースを座って弾くべきか

近年腰を痛めやすくなってしまい、腰が痛くない期間の方が短いくらいになってしまった。
程度が軽い時はそれでも普通に過ごせるが、こじらせると辛い。

ドライブした後に車から出る時とか、ドアから外に出ても速ダッシュとかとてもできない。まずよっこらしょと腰を少しずつ伸ばすところから始めないと。

こういう状況ではベースを演奏する時も少々気をつけなければいけない。
元来ライブの時は立って演奏するのが当たり前だと思っていたが、たとえ短い時間でも座った方が良いかもしれない。現にこの前の日曜日、エレキベースを立ったまま演奏したら、たった15分弱だったのに腰痛が悪化してしまった。BB3000は重量4.1kgと思ったより重い。油断したかも。

いつも座ったまま演奏するといえば、アンソニージャクソンがすぐ思い浮かぶ。彼ほど存在感(顔、体格、体重、そして腕!)があれば座っていても目立つから問題ないが、私の場合は座ってエレキベースを弾いても周りに埋もれてしまう...見た目の話だけど。

じゃあアップライトで座って弾いてみてはどうか。 これだとまず楽器そのもので目立つし、弾く体勢では自然と背筋も伸びるというもの。格好いい椅子かスツールに座ればそれなりに見えるかもしれない。

この前かぶりつきで見たスタンリークラークも座って弾いていたし、良いかも。ただ彼の場合は座っても私の身長よりも背が高い気がするし、ベースもアコースティックなので存在感は4倍増しくらいと言っていい。

ということで、次にそろえるべきギアはエフェクターよりも椅子!

2012/09/25

自分音楽史 2

私の中学生時代は The Beatles 抜きで語ることはできない。

私が中学生になった頃、Beatles はとっくに解散していて、John は休業中、Paul は Wings U.S.A. Live を出した頃で、George はコンスタントにアルバムを発表し、Ringo は近況がよくわからない、という風だった。

ちょうどその頃東芝EMIが Beatles のリバイバルのプロモーションをしていて、四国の片田舎のデパート(とスーパーマーケットのあいのこのような4階建てのお店)にもキャラバンが訪れ、一週間かけて Beatles の映画や映像をプロジェクターで上映してくれたのだった。その時人生で最初に動く彼らを見たのだった。

そりゃ学校さぼっていきましたとも。同じく Beatles にはまっていた友達とつるんで。そのなかの誰かが言ったことが今でも耳から離れない。「こんくらいだったらおれらでもできるぞ」

何も知らないとはいえ、そのような神をも恐れぬ暴言を吐けるのも若者の特権ではあろう。しかしそれを仲間内で一番真剣に考えたのは自分だったと思う。

それまでも一日に2時間以上は Beatles を聴いていたのだったが、それから本腰を入れてピアノの練習を再開し(Lady Madonna を弾きたかったから)、アコギを独習してからエレキに持ち替えてコピーを始め、自分では持っていなかったのでベースを先輩に借りてはサウンドの研究をし、ということを始めた。リットーミュージックの楽譜と解説本には本当にお世話になった。

なにせ田舎なもので、そもそもバンドを始めるといってもメンバーも居なければ発表する場もない。その時々で友達を誘ってバンドらしきものをなんとか組み、学校の講堂を借りて2トラックのカセットデッキでレコーディングしたり 、卒業式では前代未聞の卒業生によるお別れ演奏とかをやってしまったりした。

多分、中学3年生と高校3年生の時が、これまでの人生の中で最もリーダーシップを発揮しながら音楽をやっていた時期と思う。もうこんな歳になってしまったけれど、もう一度あれだけの情熱をもって音楽に打ち込むことができるだろうか。

今でも John と Paul のハモリを聴くと鳥肌が立つ。私に取っては、あれほど魅力的な男声ハーモニーは他に無い。
彼らが活動していた時代に青春時代を送った人は幸せだと思う。


2012/09/06

自分音楽史 1

これから数回に分けて自分の音楽に対する経験を振り返ってみようと思う。

歳を取るにつれ記憶も薄れて行くものだし、まだ覚えている間に記録として残しておけば、老後に見返す楽しみも増えるというものだろう。

 今回は小学校時代の第1回。 私の実家には、もの心が付いた時にはポータブルレコードプレーヤー(アンプ内蔵、スピーカーはコード接続)があった。子供のためのクラシックの全集があり、その中のいくつかは面白かったのでたまに聴いていたと思う。「くるみ割り人形」とか「動物の謝肉祭」とか「魔法使いの弟子」とかは、曲が印象的でかつセットになっていた絵本が面白くてお気に入りだった。 多分クラシックの全集があったのは、「ちゃんとした音楽はクラシック」「ちゃんとした音楽教育はピアノ」という田舎のステレオタイプの考え方の現れであったのかもしれない。もちろん、それは必ずしも悪いことではない。

 私の実家は愛媛県の田舎だったので、周りの男の子でピアノを習っている子は一人も居なかった。私も練習などいっさいせず、先生が週に一回レッスンに来てくれた時だけ弾く、という超不真面目な生徒だった。しかし私の親はそれでもやめろとは言わず、結局中学校まで続けさせてくれた。小学校時代に一切まじめに練習しなかったことは今でも非常にもったいないと思うが、結局中学生になってから真剣に練習をし始めたのであり、そこまでレッスンを続けさせてくれたことについては本当に感謝している。

「クラシック」「ピアノ」とか、いかにもという感じの単語が並んでいるが、実際に耳に入ってくる音楽のほとんどはテレビから聞こえてくる歌謡曲や演歌、それからテレビ番組の主題歌だった。小学校2年生の時に買ってもらった朝日ソノラマの「ウルトラマンA」「変身忍者嵐」「ミラーマン」「超人バロム1」の4曲入りソノシートが大のお気に入りで、溝が擦れて音が割れてしまうまで聴いたものである(実は今でも持っていたりします)。

Quiet Room と電話

近頃、朝ある程度まとまった作業をすることが多いため、出勤前にとあるスタバに寄って1時間から1時間半ほど過ごすことがある。 そのスタバは席が多く、約三分の一の席はメインのフロアとドアで仕切られている。そこでは音楽が流れていないため、意図的に Quiet Room にしていると思われる。とても珍しいお店で、初めて見つけた時は狂喜乱舞したものだ。 コーヒー代は払うものの、Wifi がつながる静かな環境、しかも家の外でかつコーヒーも飲めるという、私に取ってはほぼ理想的な作業場だ。(場所は秘密。知りたい人は直接聞いてください)。

 興味深いことに、このスタバに来るお客さんは結果的にちゃんと棲み分けができており、おしゃべりしたい人や静寂が嫌な人はメインのフロア、静かに作業をしたい人は Quiet Room に席をとる。必ずしもという訳ではないが、仕事や調べものに集中する人は主に Quiet Room に居ることが多いようだ。

 先日、Quiet Room で作業をしていると、あるインド人のおじさんの電話が鳴った。たいていの人は電話にすぐ出るが話が長引きそうな場合は、自主的に外に出て話す。それも暗黙の了解というか、他の人への配慮というものだろう。 そのおじさんも、始めの二言三言で話が長引くと覚悟したのか、Quiet Room から直接外に抜けるドアから出て、外で話し始めた。

 悲劇だったのはそのおじさんの話し声がとんでもなく大きかったこと。明らかに地声が大きいのであって、興奮して大声で話しているのではなかった。それでもって話しているのが建物のすぐそばなので、外で話していてもその声が Quiet Room にすべて筒抜け、それもまるで隣の席で話しているかのようなボリュームである。 自分も含め部屋に居る人たちに動揺が走った。これは明らかに環境が壊されている状況だ。しかし、おじさんもちゃんと気を使って外に出て話をしているから、わざわざいったん外に出てからおじさんに「もっと遠くで話してください」というのはあんまりだ。ということで、みんな一瞬「げっ」と思ったものの、すぐに平静を装って作業を再開したのだった。 しかしその直後にイヤホンを取り出し Mac につなげたのは私だけではなかった。

 本日の教訓:静かな場所から外に出て電話で話す時は、壁から十分に離れるようにしよう