2012/09/25

自分音楽史 2

私の中学生時代は The Beatles 抜きで語ることはできない。

私が中学生になった頃、Beatles はとっくに解散していて、John は休業中、Paul は Wings U.S.A. Live を出した頃で、George はコンスタントにアルバムを発表し、Ringo は近況がよくわからない、という風だった。

ちょうどその頃東芝EMIが Beatles のリバイバルのプロモーションをしていて、四国の片田舎のデパート(とスーパーマーケットのあいのこのような4階建てのお店)にもキャラバンが訪れ、一週間かけて Beatles の映画や映像をプロジェクターで上映してくれたのだった。その時人生で最初に動く彼らを見たのだった。

そりゃ学校さぼっていきましたとも。同じく Beatles にはまっていた友達とつるんで。そのなかの誰かが言ったことが今でも耳から離れない。「こんくらいだったらおれらでもできるぞ」

何も知らないとはいえ、そのような神をも恐れぬ暴言を吐けるのも若者の特権ではあろう。しかしそれを仲間内で一番真剣に考えたのは自分だったと思う。

それまでも一日に2時間以上は Beatles を聴いていたのだったが、それから本腰を入れてピアノの練習を再開し(Lady Madonna を弾きたかったから)、アコギを独習してからエレキに持ち替えてコピーを始め、自分では持っていなかったのでベースを先輩に借りてはサウンドの研究をし、ということを始めた。リットーミュージックの楽譜と解説本には本当にお世話になった。

なにせ田舎なもので、そもそもバンドを始めるといってもメンバーも居なければ発表する場もない。その時々で友達を誘ってバンドらしきものをなんとか組み、学校の講堂を借りて2トラックのカセットデッキでレコーディングしたり 、卒業式では前代未聞の卒業生によるお別れ演奏とかをやってしまったりした。

多分、中学3年生と高校3年生の時が、これまでの人生の中で最もリーダーシップを発揮しながら音楽をやっていた時期と思う。もうこんな歳になってしまったけれど、もう一度あれだけの情熱をもって音楽に打ち込むことができるだろうか。

今でも John と Paul のハモリを聴くと鳥肌が立つ。私に取っては、あれほど魅力的な男声ハーモニーは他に無い。
彼らが活動していた時代に青春時代を送った人は幸せだと思う。


2012/09/06

自分音楽史 1

これから数回に分けて自分の音楽に対する経験を振り返ってみようと思う。

歳を取るにつれ記憶も薄れて行くものだし、まだ覚えている間に記録として残しておけば、老後に見返す楽しみも増えるというものだろう。

 今回は小学校時代の第1回。 私の実家には、もの心が付いた時にはポータブルレコードプレーヤー(アンプ内蔵、スピーカーはコード接続)があった。子供のためのクラシックの全集があり、その中のいくつかは面白かったのでたまに聴いていたと思う。「くるみ割り人形」とか「動物の謝肉祭」とか「魔法使いの弟子」とかは、曲が印象的でかつセットになっていた絵本が面白くてお気に入りだった。 多分クラシックの全集があったのは、「ちゃんとした音楽はクラシック」「ちゃんとした音楽教育はピアノ」という田舎のステレオタイプの考え方の現れであったのかもしれない。もちろん、それは必ずしも悪いことではない。

 私の実家は愛媛県の田舎だったので、周りの男の子でピアノを習っている子は一人も居なかった。私も練習などいっさいせず、先生が週に一回レッスンに来てくれた時だけ弾く、という超不真面目な生徒だった。しかし私の親はそれでもやめろとは言わず、結局中学校まで続けさせてくれた。小学校時代に一切まじめに練習しなかったことは今でも非常にもったいないと思うが、結局中学生になってから真剣に練習をし始めたのであり、そこまでレッスンを続けさせてくれたことについては本当に感謝している。

「クラシック」「ピアノ」とか、いかにもという感じの単語が並んでいるが、実際に耳に入ってくる音楽のほとんどはテレビから聞こえてくる歌謡曲や演歌、それからテレビ番組の主題歌だった。小学校2年生の時に買ってもらった朝日ソノラマの「ウルトラマンA」「変身忍者嵐」「ミラーマン」「超人バロム1」の4曲入りソノシートが大のお気に入りで、溝が擦れて音が割れてしまうまで聴いたものである(実は今でも持っていたりします)。

Quiet Room と電話

近頃、朝ある程度まとまった作業をすることが多いため、出勤前にとあるスタバに寄って1時間から1時間半ほど過ごすことがある。 そのスタバは席が多く、約三分の一の席はメインのフロアとドアで仕切られている。そこでは音楽が流れていないため、意図的に Quiet Room にしていると思われる。とても珍しいお店で、初めて見つけた時は狂喜乱舞したものだ。 コーヒー代は払うものの、Wifi がつながる静かな環境、しかも家の外でかつコーヒーも飲めるという、私に取ってはほぼ理想的な作業場だ。(場所は秘密。知りたい人は直接聞いてください)。

 興味深いことに、このスタバに来るお客さんは結果的にちゃんと棲み分けができており、おしゃべりしたい人や静寂が嫌な人はメインのフロア、静かに作業をしたい人は Quiet Room に席をとる。必ずしもという訳ではないが、仕事や調べものに集中する人は主に Quiet Room に居ることが多いようだ。

 先日、Quiet Room で作業をしていると、あるインド人のおじさんの電話が鳴った。たいていの人は電話にすぐ出るが話が長引きそうな場合は、自主的に外に出て話す。それも暗黙の了解というか、他の人への配慮というものだろう。 そのおじさんも、始めの二言三言で話が長引くと覚悟したのか、Quiet Room から直接外に抜けるドアから出て、外で話し始めた。

 悲劇だったのはそのおじさんの話し声がとんでもなく大きかったこと。明らかに地声が大きいのであって、興奮して大声で話しているのではなかった。それでもって話しているのが建物のすぐそばなので、外で話していてもその声が Quiet Room にすべて筒抜け、それもまるで隣の席で話しているかのようなボリュームである。 自分も含め部屋に居る人たちに動揺が走った。これは明らかに環境が壊されている状況だ。しかし、おじさんもちゃんと気を使って外に出て話をしているから、わざわざいったん外に出てからおじさんに「もっと遠くで話してください」というのはあんまりだ。ということで、みんな一瞬「げっ」と思ったものの、すぐに平静を装って作業を再開したのだった。 しかしその直後にイヤホンを取り出し Mac につなげたのは私だけではなかった。

 本日の教訓:静かな場所から外に出て電話で話す時は、壁から十分に離れるようにしよう