2009/02/28

衝撃の音楽その1 おさらい

衝撃の音楽その2を書こうとしたら、ここにはその1がなかった。なのでそのおさらい。

  • これまでに一聴しただけでがーーんと衝撃を受けた音楽はそう多くない
  • そのうち同じ曲でそれが2回起こったのは While My Guitar Gently Weeps である
  • 1回目のがーんは Beatles(ビートルズ) の White Album (ホワイトアルバム)での Eric Clapton (エリック・クラプトン)のソロだった
  • 2回目のがーんは Jake Shimabukuro(ジェイク・シマブクロ)のソロライブでの演奏だった
  • Jake 最高。また私たちの教会に来てね。
ということで Jake の演奏をもう一度貼付けておこう。





2009/02/25

ベースの扱われ方は不当である

さてさて、昨日 Musician's Friend からカタログが送られてきた。前に一度ウクレレの弦を買ったら、それから2ヶ月に一回くらい通販のカタログを送ってくるようになった。

これはなかなか見ているだけで楽しい。特にギターはこれでもかというくらいに種類が豊富で、同じ Fender Stratocaster でも、ネック、ボディ、ピックアップ、ブリッジ、エレクトロニクスの組み合わせ違いでごまんと種類があるのだ。お値段もピンきりで、初心者用200ドルのアンプつきセットから、3000ドル超のものまで。見ているだけで数時間は楽しめる。

それに引き換えベースの種類の少ないこと。そもそも高級機種が載せられていない。どれを見てもそこそこの値段の、ビギナーのちょい上くらいのキャリアのプレイヤー向けのものばかり。例外は Fender と Gibson だが、種類は少ない。エフェクターにいたっては、そもそもベース用エフェクターの専用のページがない。

やっぱりベースってマイナーな楽器なんだなあ。カタログなんだからもうすこし購入意欲をそそるような見せ方をしてほしいよなあ(でも買わないけど)。マイクロフォンのページのほうがよっぽどうまくできてるのが悲しい。

2009/02/23

これまでのバンド経歴

大公開!っていってもどうってことない。

小学校高学年
買ってもらったラジカセ(*1)で洋楽を聞き始め、カーペンターズにはまる。

中学校
まずビートルズにはまり、なかでもポールが一番のお気に入りだったのでベースにあこがれるようになる。またギターを弾き出すと当然のように日本のフォークにも触れるようになり、レパートリーがビートルズとかぐや姫とか訳のわからない状態になる。でも周りにもこんなやついっぱいいたけど。
もうひとつの定番、ハードロックにも順調にはまり、 ディープパープルやレッドツェッペリンはもとより、そのころ飛ぶ鳥を落とす勢いだった キッス、エアロスミス、クイーンにもはまる(ただしクイーンは後でもっともっとビッグになる)。
ずっと習っていたがまともに練習もせず友達にも隠していたピアノを初めて真剣に練習し始めた(レディマドンナのイントロを弾きたかったから)。結局、エリーゼのためにまでは弾けるようになってレッスンを終えた。
そうこうしているうちにニューミュージックが盛んになり、サザンオールスターズやオフコースの曲も大好きになる。
で、中学校三年生で遂にプログレと出会い、そこから当分の間「難解な音楽は偉大である」という思いっきりずれた価値観を抱くようになる。
時代は70年代でおまけに出身地が田舎なもので、ロックは不良の音楽であった。その中学校の歴史上初めて、卒業式の直後に卒業生として即席バンドでライブ演奏をしたのが誇りである。レパートリーはロックンロール(ツェッペリンの)とレットイットビーといとしのエリーであった(笑)。


高校
高校ではブラスバンド部に入部、先輩が極端に少なかったことをいいことに、自分たちで選曲するは、編曲するはでかなり好き勝手にやらせてもらえた。私は室内ではコントラバス、屋外(野球応援)(*2)ではテナーサックスを担当し、3年生の文化祭では校歌を中期キングクリムゾン風に編曲したものを演奏して在学生を当惑させた(*3)。
文化祭では3年間ともバンドで出演し、1年生のときはオフコースからYMOまで日本の曲が中心、2年生のときはもっとテクノに(時代を感じる…)、3年生のときはTOTO風に演奏したりした。
YMOに強い影響を受け、アナログのモノシンセで多重録音したミニアルバムをカセットに録音したりした。また自作曲の多重録音も行う。(*4)


大学
大学1年生でやっと都会に出、プログレが好きな人がじつはいっぱいいたことを知る。大学1年生の時は軽音楽部でラッシュ(プログレのほう)のコピーバンドとプログレバンドに所属。後(結果的に)フュージョンっぽいポップスのバンドを結成するが一身上の都合で脱退し、このことがもとで軽音楽部の友人とは長い間禍根を残すことになる。(*5)
その代わり別の軽音楽サークルで新たなメンバーと出会い、数年かけてさまざまなバンドを経験。主にフュージョンのコピーに邁進する。カシオペアとかAB'sを聞き込んだ時代である。バンドに縁がない時には孤独にシンセとエレピをつま弾き、相変わらず多重録音を単発的にやっていた。

大学院
大学院ではボーカル中心のバンドで活動した。レパートリーはフュージョン・AOR系の曲が多く、このころやっと「バンド活動とはこうでなければならない」的な思い込みが薄れだした。

ブランク
就職してからアメリカに渡るまで、音楽活動は事実上停止状態だった。例外として、大学の時の仲間と2曲自作曲を録音し、あと披露宴バンドを一回やったくらい。仕事が忙しくて、日本のサラリーマンがバンドをするのは非常に厳しいと思う。

渡米後
英語がまともに話せなかったので何とかコミュニティに入りたいと思っていたところ、通っている教会でバンドの音が聞こえてきたので、たまたま相談した人がメンバーに紹介してくれた。そうしたらタイミングよくベーシストが抜けるのでぜひ弾いてほしいということになり、バンドに加入できた。それから今日までずっと教会のバンドでベースを弾かせてもらっている。
中心は Wesley Jazz Ensemble。ビッグバンドとはいかないが結構大所帯である。ベイエリアの日系コミュニティでは思ったより有名(だろうたぶん)。スタンダードジャズ、ポップス、たまに日本の歌を演奏する。ライバルは千鳥バンド(こちらは本当に有名な演歌バンド)。
またつい先日まで担当していた11:30バンドに替わり、Praise Band でメインの礼拝でコンテンポラリクリスチャンミュージックを演奏している。ちょっと聞いた目サウンドは普通のロックなのだが内容はキリスト教の賛美歌だ。
最後に Wesley Ukulele Band のサポートをしている。教会のウクレレバンドは人数がものすごく多く迫力はあるが、リズム隊が入ると音が非常に締まるのでいつもヘルプを頼まれる。ちなみにベースではなくウクレレ演奏で出演することもある。
ちなみに、3バンドともベースは私でドラムはTodd 、同じチームである。またPraise Bandのメンバーはすべて Jazz Ensemble のメンバーでもある。ということで、まさに気心が知れた友人とのバンド生活を楽しんでいる、という状況なのだ。
教会はサンノゼのジャパンタウンにある Wesley United Methodist Church。日語での礼拝もあるので、興味のある方は日曜朝10時からぜひどうぞ。

*1 もちろんモノラルのFMカセットテープレコーダー
*2 いつも地方予選1回戦敗退だったので、3回戦まで進んだ時は狂喜乱舞した
*3 曲前半はマイナーで在校生は泣きそうになってしまい、後半メジャーに転調した時には歓声が上がった
*4 この時録音したシンセベースの音には今でも自信がある
*5 若かった。皆さん許してください

2009/02/22

Weekend Musician ブログの目的と内容

本日より私 ibass3000 の音楽関係の私的ブログとして、この Weekend Musician を始めます。

もともと家族のことも含めたオンライン日記に音楽関係のことも書いてきましたが、私生活が少々タフな状況になったこともあり、そちらは親族向け専門ということにさせていただき、こちらに私の音楽生活やら趣味のアクティビティを紹介していきたいと思います。

素の状態で始めますが、途中でアフィリエイト関連の広告を挿入するかもしれません。